御多分に漏れず、当地も高齢者が多くなっている。
わずか十数戸の隣保班で今期4月以降2回目の葬式に行ってきた。
前回は筋向いのお巡りさんのお舅で、ミキが幼稚園のころは可愛がってもらった。
長い入院生活の後に他界。
もう記憶が薄れてきているが、普通の仏式だったと思う。
今日は、このタイトル式のお葬式。
焼香はある。だけど、線香が少なかったような気がする。
お坊さんではなくて、創価学会の幹部が念仏を唱える。法衣ではなくて、礼服姿。
法名は無いらしい。故人は俗名で呼ばれていた。
いつぞや、県内の神式の葬式に出た。
線香も念仏も焼香も無い。
神主に榊。
実に妙な具合だった。
葬式は、どうせ出会うならタイが良いな。
あの寂寂の雰囲気というか。
故人や遺族はその宗教の信者なのだろう。
だから、それ式で拝み拝まれるのは当然だと思う。
だけど、たまたま近所の私たちはそれなりに宗派を持つ。
自分の宗教でもないのにそれ式で拝するのは、違和感がある。
死者を冒涜することになってもいけないのであまり書けないけれど。
今日のお葬式の故人に、南無阿弥陀仏。
当地では数年前まで自宅葬が普通だった。
隣保班は各戸あたり2名ずつ3日も拘束されて、献杯だの炊事だの雑用だのをやらされた。
それが、ここのところホール式に変わった。
各自の自由だが、葬式か通夜かどっちか出ておけば近隣から文句は出ない。
各戸1名、拘束時間1時間というところ。
ある意味で味気なくなった。